テキスト@マタイ1章18~2章12節 説教者:高森恒喜
クリスマスはイエス・キリストの誕生を記念する日であり、天地万物の造り主なる神が人として地上に来られた日です。では、なぜ、神が人となられる必要があったのでしょうか?イエス様は何のために地上に来られたのでしょう?聖書をとおして学んでいきましょう。
1.罪から救うために
礼拝説教では牧師が講壇から「あなたは罪人(つみびと)です!」と語ることがあります。
それを聞いて、気を悪くされる方もおられるかもしれません。
しかし、聖書が教える「罪」とはいわゆる犯罪とは異なります。
そのことについて理解すれば、なるほど、そう言われれば私も罪人だな・・・と納得されると思うのです。
聖書が教える罪の根本は創造主なる神との関係が壊れている状態です。
ですから、創造主から離れて生きている人全てが「罪人」であり、「殺人」や「姦淫」等の個々の罪はそこから派生するのです。
イエス様は私たちと創造主なる神の関係を回復するための架け橋として地上に来てくださいました。
まことの神であり、まことの人であるイエスが私たちの罪の身代わりとなって十字架に死ぬことによって、それは成し遂げられたのです。
2.私たちとともに住むために
人間にとっての幸福とは神とともにあることであると聖書は教えます。
私たちはそのような存在として造られていると。
はじめの人間アダムとエバは主とともに住んでいるときに幸福でした。
しかし、彼らはサタンの惑わわれ、神以外の何かに幸福を求めてしまったのです。
今も多くの人が創造主なる神以外の何かに幸福を求めています。
そこからは決して、真の幸福も平安も喜びも見出すことはできません。
3.私たちの主となるために
イエス様は私たちとともに住むだけではなく、私たちの「主人」となるために来てくださいました。
私たちがイエス様とともに歩む生活を送り始めても、イエス様を主として従う生活をはじめなければ信仰生活の中で実を結ぶことはできません。
だからこそ、神様は様々な訓練をとおして私たちに従順を学ばせようとされるのです。
(2016年12月25日の礼拝説教要約)