1.肉欲から切り離される
「もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。」(1ヨハネ2:15)
この世界には二種類の神しかいません。
「人間を創造した神」と「人間の想像した神」です。
人間にも二種類しかいません。
「創造主(神)の御心」に従って歩む人と「自分の欲望」に従って歩む人です。
神を知らない人が自分の欲望に従って歩むのは仕方がないことです。しかし、クリスチャンがそうであるならば、それは残念ことです。
そのような状態では、決して神の御心を知ることはできません。当然、神の御心を行うこともできません。
パウロはこの世の全てを捨て、常に神の御心を思っていたからこそ、御心を正しく汲み取ることができたのです。
2.人を恐れない
「人を恐れるとわなにかかる。しかし、主に信頼する者は守られる」箴言29:25
イエス様と同じく、パウロも人の顔色を伺うことはしませんでした。コリントで迫害された時もなおそこに留まって宣教を続けることができたのも、またエペソのクリスチャンがパウロに宣教のために長期滞在を要請した時、それを断ったのも、彼が人の顔色を見なかったからです。
パウロは人の顔ではなく、ただ神の顔を見ていました。ゆえに、パウロは恐れに因われることも、人間の情に流されることもなく、神の御心を選び取っていくことができたのです。
3.忍耐する
「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」(ヘブル10:36)
私たちが神の御心を行う上で大事なのは「忍耐」であることを忘れてはなりません。その忍耐は「報いとして与えられるものから目を離さない」(ヘブル11:26)姿勢がないと続きません。
しかし、その報いは天に属するものですから、地上のことばかり考えている人にとって、それは忍耐力を増す助けとはならないでしょう。
説教者:高森恒喜牧師
(2017年2月12日「礼拝説教」の要約)