1.キリストの「予表」としての「アダム」(12~14)
アダムはきたるべき方のひな型です(ローマ5:14)
パウロはまず「アダム」が「イエス・キリスト」の「予表(ひな型)」であることを示そうとします。どのような意味での予表かというと「その人ひとりの行為によって全人類に影響が及ぶ存在」としての予表です。それを証明するために「肉体の死」の原因について言及し、「肉体の死」は個々人の罪の結果としての罰ではなく「アダムの罪」のゆえに全人類が「肉体の死」を経験することを述べるのです。
2.キリストによって全人類に与えられたもの(15~19)
神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物(ローマ5:16)
「全人類に影響を与える存在」という点においては、アダムとイエス様は共通しています。しかし、実際に与える影響は対照的です。パウロはそれらを対比させながら、イエス・キリストによって与えられた神の賜物の素晴らしさを語ります。アダムはその不従順によって人類に「さばき」と「罪」と「死」をもたらしましたが、キリストはその従順によって人類に「恵み」と「義」と「命」をもたらしました。
3.恵みに満ち溢れた人生(20~21)
罪の増し加わるところには、恵みも満ち溢れました(ローマ5:18)
「律法」が明示された結果、この世界は「罪(違反)」が満ち溢れるようになりました。しかし、そこにキリストの「恵み」が入ることにより「義」が満ち溢れるようになったのです。ほとんどが黒石で支配されているオセロの盤面が、一つの白石が打ち込まれることによって、どんどんとその盤面が白くなっていくように、私たちの黒く汚れた心は恵みにより日々清くされるのです。
説教者 高森恒喜牧師
(20180114 礼拝説教要約)