1.「赦し」を学ぶ
人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません(マタイ16:15)
私たちは「愛すること」を学ぶために地上での訓練を受けています。「愛すること」の中には当然「赦すこと」が含まれています。兄弟を愛さない者が神を愛していないのと同じく、人を赦さないものは神を赦していない、すなわち神に敵対しているのです。そこに神の祝福はありません。
2.「赦し」を宣言する
父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです(ルカ23:34)
自分の力では本当の意味で人を赦すことはできません。私たちがすべきことは、私たちの内におられるイエス様によって「赦し」を宣言することです。最初はそこに感情や思いが伴わないかもしれません。しかし、信仰によって「赦し」を宣言する時、そこに聖霊が働かれるのです。
3.「赦し」に生きる
自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい(ローマ12:18)
人を恨んでいたり、また他人に恨まれていると、私たちと神様との関係にも悪い影響が生じます。だからこそ、イエス様は祭壇で供え物をする前に兄弟と和解することを勧められたのです(マタイ5:23)。そういった意味でも教会は「赦し」に満ち溢れる場でなければなりません。憎しみの満ちるところに神の臨在はありません。
説教者 高森恒喜牧師
(2018年3月11日の「礼拝説教」の要約)