「狭き門」。慣用句にもなっている今回の聖句ですが、その本来の意味をしっかりと理解しましょう。
1.狭い門を見いだすために
いのちに至る門は小さく・・・それを見いだす者はまれ(マタイ7:14)
永遠の命に至る門は人々の目に魅力的には映りません。むしろ、それはみすぼらしく、ある人々はそこに門があることさえ気づかないのです。ヨセフとマリヤの夫婦が幼子イエスを連れて宮に詣でた時、ほとんどの人がその幼子にキリストを見出さなかったようにです。しかし、心から神の国を求めていたシメオンとアンナという老人達は違いました。
2.狭い門をくぐるために
狭い門から入りなさい(マタイ7:13)
茶道における茶室の入り口は非常に狭く作られています。「にじり口」と呼ばれるのですが「にじる」とは膝をかがめ腰をかがめ、畳に手をつくようにする動作のこと。身分の高い人も低い人も同様にそのようにしなければなりません。「にじり口」は聖書の「狭き門」から着想を得たとの説も。その真偽はともかく狭き門をくぐる為に「謙遜」は必須です。
3.狭い道を歩くために
その道は狭く・・・(マタイ7:14)
小さい門を見いだし、その狭い門をくぐる人はわずかですが、その先に続く狭く険しい道を歩き出す人、また歩き続ける人は、さらにわずかです。誰も好んでそんな道を行くことはしません。しかし、その先に永遠の祝福があることを堅く信じる人。また、そこまで共に歩んで下さるイエス様に信頼を寄せる人は必ず永遠の命へと至るのです。
説教者 高森恒喜牧師
(2018年4月8 日礼拝説教の要約)