Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

神の愛に生きる人生

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「人の望むものは、人の変わらぬ愛」とありますが、人に「変わらない愛」を求めることができるのでしょうか?

1.人間の愛

情け深い人のためには・・・死ぬ人が・・・いるでしょう(ローマ5:7)

親子の愛、男女の愛、友人の愛、人の「愛」でも、私たちを感動させるものはあります。しかし、それらの「愛」は突き詰めて考えると、そこに自己中心性があることは否めません。また、多くの場合、人間の愛は移ろいやすいものであり、私たちはそこに「変わらない愛」を見出すことはできません。

2.神の愛

私たちがまだ罪人であったとき(ローマ5:8)

神の愛と人間の愛の決定的な違いは、条件付きの愛か、もしくは無条件の愛かという点にあるでしょう。イエス・キリストは、私たちがまだ創造主なる神を知らず、罪の中に生きている時から、私たちを愛し、私たちの罪の身代わりとなるために十字架にかかって死んでくださいました。私たちはここにしか「変わらない愛」を見出すことはできません。

3.神の愛に生きる

永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した(エレミヤ31:3)

私たちは自分の人としての愛で人を愛するのではなく、創造主なる神の愛を受けて、その愛を人々に分かち合う器として選ばれていることを忘れてはなりません。私たちがそのようにして互いに神の愛を分かち合うところにこそ、神様の住まわれるところなのです。そのためにも、私たちはますます祈りとみことばの内に神に近づいていきましょう。

説教者 高森真理子牧師

(2018年5月27日礼拝説教の要約)

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