神の愛に生きるために、私たちが知るべきこと、またなすべきことはどのようなことでしょう?
1.パウロに見る神の愛
もしできることなら・・・この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです(ローマ9:3)
パウロは自分の同胞であるユダヤ人が救われるならば、自分が身代わりとなって地獄に言ってもいいと発言しました。
パウロは地獄に対して無知だったから、そんな発言ができたのでしょうか?もちろん、そうではありません。
彼にそう言わしめたのは彼の内に宿る「神の愛」でした。
2.キリストの心
私たちには、キリストの心がある(Ⅰコリント2:1)
偉大なパウロだったから「神の愛」を抱くことができたのでしょうか?そうではありません。私たちも同じく、自己犠牲的な「神の愛」を抱くことができます。
なぜなら、私たちの内にもキリストご自身が聖霊によって住まわっておられるからです。私たちひとりひとりにキリストの心、神の愛が宿っているのです。
3.聖霊の満たし
聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれている(ローマ5:5)
「神の愛」に満たされるためには「聖霊」に満たされることが必要です。「聖霊」に満たされるためには「信仰」に満たされることが必要です。「信仰」に満たされるためには「みことば」に満たされることが必要です。
だからこそ、パウロは「キリストのことばを豊かに住まわせ」(コロサイ3:16)なさいと命じたのではないでしょうか?
説教者 高森恒喜牧師
(2018年6月10日礼拝説教の要約)