クリスチャンとして、老いや病、そして死をどう捉えていくべきか。聖書から学んでいきましょう。
1.「老い」について
私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています(Ⅱコリント4:16)
私たちの肉体は衰えます。中年ともなれば年を重ねるごとに自らの「老い」を感じることでしょう。しかし、「老い」があればこそ悟ることが出来きる真理もあります。それらが全て私たちの霊的な成長につながることを覚える時、私たちの心は喜びに満ち溢れるのです。
2.「病い」について
この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです(ヨハネ11:4)
苦しい病気の只中にある時は「病気も神の栄光のため」という真理が受け入れ難いことでしょう。しかし、聖書はそのように教えるのです。また、「病気」が癒やされることだけが神の栄光につながるわけではありません。癒やされないことで神に栄光が帰されることもあるのです。
3.「死」について
人間には、一度死ぬこと・・・が定まっている(ヘブル9:27)
クリスチャンになったからといって全く「死」の恐怖がなくなるか?というとそうでもありません。「死」に対する健全な恐怖もあります。死に対する恐怖があるからこそ、安全を確保しようと防災に努めるわけです。それはある意味本能、実に自然なことです。私たちクリスチャンが恐れる必要がないのは「第二の死」と呼ばれる「永遠の滅び」です。
説教者 高森恒喜師
(2018年9月30日礼拝説教の要約)