私達はこの世的な規準で「真理」の有る無しを判断してしまわないように十分に注意しなければなりません。
1.多くの人が集まるところに真理がある?
ここには・・・主の預言者がほかにいないのですか(Ⅰ列22:7)
多くの人が集まっている教会は祝福されている。そこに真理がある。私達は無意識にそのような感覚に陥ってしまっていることがあります。しかし、それは間違いです。ある旧約聖書の記事では約400人の預言者がイスラエルの王に預言しましたが、その中で神のみこころを語ったのはたった一人でした(1列王記22:1)。
2.奇跡があるところに真理がある?
偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた人たちをさえ惑わそうと、大きなしるしや不思議を行います(マタイ24:24)
私達が宣教の働きに「しるしや不思議」を期待することは悪いことではありません。しかし、「しるしや不思議」のあるところに真理があるかというと、その限りではありません。終わりの時代には悪魔や悪霊が著しい奇跡を行って人々を惑わすようになることを心に留めましょう。
3.感動のあるところに真理がある?
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き(ヘブル4:12)
人生において「感動」は大事です。またクリスチャン生活において聖霊による感動を経験することもあるでしょう。しかし、感動があるところに真理があるか、というとそうではありません。時にはみことばが私たちの心を刺し貫き、私達をはなはだ不快にさせることもあるのです。
説教者 高森恒喜師
(2018年11月25日礼拝説教の要約)