1.「死」とは「分離」
からだが霊を欠いては死んでいる(ヤコブ2:26)
「死」の三大徴候は①呼吸停止②心臓停止③瞳孔散大(光反射停止)です。一般的な「死」には「停止」というイメージがあります。しかし、聖書における「死」には「分離」というイメージがあります。たとえば肉体の死は「肉体と霊魂の分離」(創35:18)と捉えられます。放蕩息子のたとえでは「関係の分離」が「死んだ」と表現されています。
2.「聖」と「死」
彼らが聖なるものに触れて死なないため(民数記4:15)
聖書には「死」以外に「分離」のイメージを持つ言葉があります。それが「聖」です。聖書において「聖」と「死」が表裏一体の関係にあるのは「分離」というイメージがその根底にあるからと考えられます。「聖」とされていない者が「聖(分離)」に触れると「死」という形で「分離」されるのです。逆に「血(死)」によって「聖」となることもあります。
3.「命」は「結合」
御子を公に言い表す者は、御父にも結ばれています・・・これこそ御子が私たちに約束された約束、永遠の命です(Ⅰヨハネ2:23~25新共同訳)
「死」が「分離」であるならば、その反対である「命」は「結合」です。上記の新共同訳の訳ではその「結合」のイメージが反映されています。聖書が約束する「永遠の命」とは、単に「永遠に存在する」という意味ではなく「三位一体なる神と永遠に結合する」という意味なのです。
説教者 高森恒喜師
(2018年12月2日礼拝説教の要約)