私達は生きている以上「人間関係」から逃れることはできません。なぜなら「人間関係」こそ神の栄光が現れる場だからです。
1.未信者との関係
救い出され(ローマ15:31)
使徒時代は文字通り、ユダヤ人や異教徒の迫害から守られるようにという祈りであったことでしょう。しかし、現代日本においてそのような迫害を受けることは現時点においてはあまり考えられません。しかし、その「思い」においてこの世の様々な攻撃にさらされ敗北を喫していることがあります。「思い」における救いを主にあって勝ち取りましょう。
2.他信者との関係
受け入れられますように(ローマ15:31)
パウロの「受け入れられますように」との願いには、「受け入れられない可能性があったことを示唆します。パウロが属していたアンテオケ教会とエルサレム教会には少なからず軋轢があったのです。今でも教派、教団において、宣教方針や教理理解に違いはあります。それは仕方がないことです。大事なのはその違いを受容した上で仕え合うことなのです。
3.同信者との関係
憩いを得ることができますように(ローマ15:32)
定期的に集まる場は「憩いの場」となることが求められています。主は私達を「憩いの水のみぎわに伴われる」とありますが、それは「教会」のこととして捉えることもできます。私達は「教会の交わり」という「憩い」の中でリフレッシュし、そこから、またそれぞれ遣わされていくのです。ですから、互いにさばきあうことのないようにしましょう。
説教者:高森恒喜師
(2018年12月9日礼拝説教の要約)