「信仰は感情ではない」と言われることもありますが、それは信仰生活に感情が必要ではないということではありません。
1.感情は賜物である
あなたは喜びを私の心に下さいます(詩篇4:7)
「喜怒哀楽」という感情は神様が私たちに与えてくださった素晴らしい賜物です。私たちは真の礼拝者として「喜びを持って主に仕え」(詩100:2)ることができます。また「ともに喜び、ともに泣く」(ローマ12:15)ことによって人に寄り添うことができます。神と人とに仕える上で「感情」はとても大切な役割を担っているのです。
2.御心にかなう感情
神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします(Ⅱコリント7:10)
「感情」は私たちの信仰生活を豊かにする大切な要素です。しかし、それはあくまでも神のみこころに添う「感情」であることが条件です。それは神の喜びを自らの喜びとし、神の悲しみを自らの悲しみとする心から溢れ出る感情です。
3.感情の源泉
上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません(コロ3:2)
地上に属するものばかりに目を留めているならば、私たちはそこから来るところの「感情」に翻弄されることになります。その歩みは不安定になり、その先には祝福ではなく呪いが待っています。私たちが神のみこころに叶う感情を持つためには、何よりも私たちの心と思いが天に向けられること、そして聖霊に満たされることが大切です。
説教者:高森恒喜師
(2019年3月3日礼拝説教の要約)