人生はある時はむなしく、またある時は理不尽に思えるものです。私たちはそのような人生をどう捉え、生きるべきでしょう。
1.人生のむなしさを知る
あなたがたのいのちとは、どのようなものなのでしょう。あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です。(ヤコブ4:14)
クリスチャンになったからと言って人生にむなしさを感じなくなるわけでも、理不尽と思えることがなくなるわけでもありません。しかし、だからと言って人生に意味がないわけでも、それを軽んじていいわけでもありません。その中でこそ私たちが学ぶべきことがあるのです。
2.謙遜になることを学ぶ
正しすぎてはならない。自分を知恵のある者としてはならない(伝道者7:16)
自分のほうが正しい、自分のほうが分かっている。そんなふうに思っている人たちの間には争いや衝突が起こります。自分のほうが間違っているかもしれない、自分のほうが分かってないかもしれない。そう思っている人の間には和解と安らぎがあります。キリストのように自らを低くするところにこそ神の平和が訪れるのです。
3.最後まで生きる
時が来ないのに、なぜ死のうとするのか(伝道者7:17)
すべての人間には一度死ぬことが定められています。しかし、その時は神が定められるものであり、人間がその時を勝手に決めるべきではありません。定められた時まで「生きる」。これもまた神が人間に与えられた使命です。もちろん、それが分かっていても、むなしく理不尽な人生にもう死んでしまいたいと思うこともあるでしょう。そんな時にこそ、私たちは共に神の愛と神の力を示すキリストの十字架を見上げましょう。
説教者:高森恒喜師
(2019年4月7日礼拝説教の要約)