イエス様にとどまることによって、私たちはどのような者となることができるのでしょう?
1.信仰にとどまる
わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。(ヨハネ15:4)
キリストにとどまるとは「天下にナザレのイエス以外に救いはない!(使徒4:12)」という信仰にとどまり続けることです。しかし、このことは人間的な力によるのではありません。イエス様を救い主として受け入れることが出来たのも神の恵みであり、またこの信仰を保ち続けることができるのもまた神の恵みです。全てを神に委ねていきましょう。
2.聖書にとどまる
わたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっている(ヨハネ15:10)
「私はキリスト教を信じているのではない、イエス様を信じているんだ」と言う人がいます。言わんとすることは分かります。しかし、キリスト教を読んで字のごとく「キリストの教え」とするならば、先の表現はふさわしくありません。キリストの教えをないがしろにしている人はイエス様を愛してもいないし、信じてもいないのです。
3.愛にとどまる
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい(ヨハネ15:9)
イエスこそ救い主であることを信じ、イエスの教えに生き、特にその教えの中心である「互いに愛し合うこと(ヨハネ15:12)」を実践することこそ、神の愛にとどまることです。そして、これもまた神の恵みによるものであり、聖霊の力によって成し遂げられることなのです。
説教者:高森真理子師
(2019年4月28日礼拝説教の要約)