神は平等な方である。それは確かに真実です。しかし、同時に神は不平等な方であることもまた真実なのです。
1.神は平等な方である
私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです(マタイ20:14)
イエス様はある時、ぶどう園の労働者とその雇用主の関係になぞらえて天の御国について語られました。雇用主は12時間近く働いた人にも、1時間程度しか働けなかった人にも、同額の賃金を与えたというのです。ここには神が理不尽なまでに平等を貫く姿勢を見ることができます。救いは人の働きによるのではなくただ神の恵みによるのです。
2.神は不平等な方である
一人には五タラント・・・二タラント・・・一タラント(マタイ25:15)
神様はひとりひとりに異なる能力、異なる機会、異なる環境を備えられました。人間的な視点でみるならば、私達はそこに歴然とした格差を見ることでしょう。そのような意味で神は不平等です。しかし、神の目からみたら全ては「わずかな物(マタ25:21)」にしか過ぎません。大事なのは神の忠実なしもべとして与えられた能力を用いることなのです。
3.神への信頼が全てである
彼はここで慰められ、おまえは苦しみもだえている(ルカ16:25)
「金持ちとラザロ」のたとえ話では「金持ちとラザロ」が対照的な存在として描かれています。しかし、ラザロを懐に抱くアブラハムもまたラザロとは対照的な存在でした。アブラハムは、たとえ話に登場する金持も足元に及ばないほどの金持ちだったのです。異なるのは彼が死に至るまで神を信頼し続けたことです。ラザロがそうであったようにです。
説教者:高森恒喜師
(20190524 礼拝説教の要約)