「たましいの救い」とは具体的にどのようなことなのでしょうか?聖書をとおして確認してみましょう。
1.たましいとは?
あなたがたの霊、たましい、からだのすべて・・・(Ⅰテサロニケ5:23)
「たましい(プシュケー)」は聖書の別の箇所では「命」、また別の箇所では「心」とも訳される言葉です。それらの意味を総合すると「たましい」とは「人間の肉体や精神活動を司る人格」と表現することができるでしょう。このことから聖書は「たましい(人格)」は人間が人間として存在する上で必須のものと捉えていることが分かります。
2.救いとは?
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです(Ⅰペテロ1:2)
聖書の教える「救い」にある根本的なイメージは「回復」ですが、ここでの救いはすでに「神との関係の回復」した人々の「あるべき姿への回復」と捉えると良いかと思います。私たちはイエス様を救い主として受け入れた時にクリスチャンになってすぐにキリストの似姿になるわけではなく、そこから日々成長してキリストに似たものと変えられるのです。
3.みことばとは?
みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません(ヤコブ1:22)
みことば(聖書の教え)を学ぶだけでは、成長することはできません。信ずべき教えを信じ、実践すべきみことばを実践してはじめて、その教えが私たちの血となり肉となるのです。そのようにして、私たちがキリスト者として成長してこそ乗り越えることのできる試練があるのです。
説教者:高森恒喜師
(20190630 礼拝説教要約)