20年ほど前、父を含む仲良し牧師3人組の食事会に招かれたことがあります。他のおふたかたの牧師も父と同年代ですから私からすると大先輩です。
どんな会話をするのだろう?と私は興味津津でしたが驚いたことに3人の間に会話はありませんでした。あったのは「会話」ではなく「説教」。各々口を開くとそれがいつの間にか説教になっているのです。
牧師になると普段の会話も説教くさくなるなんてことは聞いたことがありますが「説教」そのものになってしまうなんて・・・
病気だな(職業病)と思いました。笑
しかし、それだけ、いつも神様の恵みを伝えることを考えておられるということ。見習わねばとも思わされたのです。
ただ、最近この「後記」も説教臭くなりがちなので、そこは反省です。