1.「願い」と「努力」
こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を・・・(Ⅱペテロ1:5)
「事は人間の・・・努力によるのではない」と言われると、人間の努力は必要でないかのように思われるかもしれません。しかし、聖書全体を見れば、そうではないことが分かります。
エデンの園も神の祝福が実現するためには、その土地を耕すという人間の努力が必要でした(創世記2:5)。イスラエルの民は、神が与えられた約束の地カナンに入るのに、自らも戦う必要がありました。
2.「恵み」と「祝福」
主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は・・・何も・・・加えない(箴言10:22)
上記の聖句も人が「労苦」することの価値を否定しているわけでも、軽んじているわけでもありません。
ただ、私たちが一生懸命、畑を耕しても雨が降らなければ、収穫を得ることができないのと同様、神の恵みがなければ、私たちがいくら頑張っても、神の前に実を結ぶことはできないということを教えているのです。
3.「選び」と「応答」
ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい(Ⅱペテロ1:10)
「選び」は神の権威によるものです。人間はこの神の「選び」に関して、何もすることはできません。
ただ、この「選び」を確かなものとするための「応答」に関してはそうではありません。それぞれが、どのように神の選びに「応答」するか。それが「永遠」に関わって来るのです。
説教者 高森恒喜牧師
(2018年6月17日礼拝説教の要約)
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