クリスチャンとして他と区別する目に見える「しるし」とはどのようなものでしょうか?
1.神の国を第一にする生活
わたしの安息日を聖なるものとせよ。これをわたしとの間のしるしとし、わたしがあなたがたの神、主であることを知れ(エゼキエル20:20)
聖日を他の日と区別し、礼拝を捧げることは私たちが神のものとされていること、クリスチャンであることの一つのしるしです。また、それは「神の国と神の義を第一にする」という信仰を具体的な表明です。私たちは聖日を守ることによって、神への絶対的な信頼を表していくのです。
2.みことばに親しむ生活
あなたがたは、わたしのことばを心とたましいに刻み、それをしるしとして手に結び付け、記章として額の上に置きなさい(申命記6:8)
神は「このみおしえのすべてのように正しい掟と定めを持つ偉大な国民が、いったいどこにあるだろうか」(申命記4:7)とイスラエルの民とその他の民の違いは「神のことば」を持っているか持っていないかにあると言われました。みことばに親しむことは選民としてのしるしです。
3.聖められた生活
人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼だからです(ローマ2:9)
ユダヤ人はしるしとして肉体に「割礼」を受けるよう定められました。それは神に属する者は、この世(肉欲)と決別して生きるべきであることの象徴です。肉欲から切り離された生活、すなわち聖い生き方はクリスチャンとしてのしるしであり、証しなのです。
説教者:高森恒喜師