テキスト@エゼキエル18章32節他 説教者:高森恒喜師
キリスト者として生きるとは具体的にどのように生きることなのでしょう?
1.悔い改めて生きる
わたしは、だれが死ぬのも喜ばない―神である主のことば―。だから立ち返って、生きよ。(エゼキエル18:32)
「立ち返って、生きよ」新改訳聖書3版では「悔い改めて、生きよ」と訳されていましたが「悔い改め」には180度方向転換をする悔い改めと、方向のずれを微調整するという意味での悔い改めがあります。前者は原則1度きりですが、後者は毎日、その都度必要な悔い改めです。
2.神を求めて生きる
私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう(ホセア6:3)
なぜ、私たちは神を求める必要があるのでしょう?それは、私たちは神を求めるように造られ生かされているからです(使徒17:26~27)。では、神を求めるとは具体的にどのようなことでしょう。その答えは一つではありませんが、その中でも最も重要なのは神のみこころを求めることです。なぜなら私たち人間は神のしもべとして造られているからです。
3.神に信頼して生きる
信仰がなければ、神に喜ばれることはありません(へブル11:27)
「神に対する信仰」には「神に対する信頼」も当然のことながら含まれます。神の全能を信じていても、神に対する信頼がなければ、それは健全な関係とは言えません。私たちは神と交わる時間を密にすることによって、より深い信頼関係を築いていくことができますが、そのための第一歩はみことばをいつも思う習慣を身に着けることです。
(2019年11月10日礼拝説教要約)