テキスト@マタイ18:3他 説教者:高森恒喜
「悔い改め」について理解を深めましょう。
1.悔い改めとは?
向きを変えて子どものようにならなければ、決して天の御国に入れません(マタイ18:3)
「悔い改め」というと「悔いる」ことに焦点が当てられがちです。
もちろん悔いることも大事です。
しかし、もっと大事なのは「改める」こと。
いくら過去の罪過ちを悔いたとしても、何も改めなかったらそれは「悔い改め」ではありません。
たとえば、酒を飲んで奥さんに暴力をふるう男の人がいたとします。彼は酔いが醒めると、自分のしたことを悔やんで、妻に泣いて謝るのですが、またしばらくすると、酒を飲んで同じことを繰り返すのです。
このように、悔いてはいるけれども、その行いが改まらないなら、それは聖書の教える「悔い改め」ではありません。
方向を転換することこそ、悔い改めのその本質であることを銘記しましょう。
2.神に立ち返る
悔い改めて神に立ち返りなさい(使徒3:19)
真の神に立ち返るという意味での「悔い改め」は原則的には一度切りです。
イメージとしてはその歩む道が180度方向転換させられるような悔い改めです。それはクリスチャンになるための悔い改めと言ってよいでしょう。
ただし、故意に棄教したならば、もう一度この悔い改めが必要となるでしょう。
3.歩みを改める
どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。そうせず、悔い改めないなら・・・(黙示録2:5)
私たちはクリスチャンになっても、弱さのゆえに、道に迷ってしまったり、踏み外したりするものです。
その時に私たちがする悔い改めはクリスチャンになるためではなく、クリスチャンにふさわしい歩みをするためのものです。
これを疎かにすると霊的に危険な状態になります。
(2020年4月5日の礼拝説教要約)