Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

とりなし手となるために

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テキスト@Ⅰテモテ2:1他 説教者:高森恒喜

神との正しい関係を保つことはとりなし手として必須です

1.聖書を学ぶ

王は律法のことばを聞いたとき、自分の衣を引き裂いた(Ⅱ歴34:19)

万物の終わりが迫っているこの時代において、私たち一人ひとりがとりなしの祈り手となることが求められています。

そのためにも、私たちは自らのうちにある隠された罪を除く必要があるのですが、聖書を学ばなければ何が神の前に罪であるかが分からないので、真の悔い改めをすることはできません。

2.自分の罪を悔い改める

あなたがたの罪が・・・聞いてくださらないように(イザヤ59:2)

聖書をとおして何が罪であるかを知り、それらの罪を告白し、捨て去る(箴言28:13等)ことをしなければ、それが私たちのとりなしの祈りを妨げてしまう可能性があります。

ですから、どんなに小さな罪と思われるものであっても、それを神の前に告白することをとおして、その罪を私たちの生活から断ち切りましょう。

3.他人の罪を悔い改める

私は今・・・イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の家も罪を犯しました(ネヘミヤ1:6)

私たちには祭司としての務めも与えられています。

その中でも重要なのが他人のためにとりなし祈ることです。

時には他の人の罪を自分の罪として悔い改めることもとりなし手には求められます。

私たちは他の人を裁くためではなく、彼らを憐れむために遣わされているのです。

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