テキスト@へブル2章6~8節他 説教者:高森恒喜
自分が神の目にどのような存在であるかを知ることによって、自らの信仰の歩みを確かなものとしましょう。
1.王としての自覚
もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める(黙示録22:5)
私たちは王として召されていることを知ってますか?そのことを日々意識していますか?
私たちは神の創造される「新天新地」を相続するだけではありません。
新天新地で、キリストとともに治める王として選ばれているのです。
まず何よりもその自覚を抱くことが、完全なクリスチャン生活を送るためには大切です。
自分自身が何ものであるかを知ることは、私たちの人生に大きな影響を与えるのです。
2.王としての学び
ぶどう酒を飲むのは王がすることではない。強い酒を飲むのは君主がすることではない(箴言31:4)
自らが王として召されたことを知るならば、聖書の読み方もまた違って来ます。
たとえば聖書は「王は聖書を手もとにおいて、一生の間これを読め(申命記17:18~20)」と教えてますが、王としての自覚をもって読めば、この聖書のことばがさらに心に迫ってくるでしょう。
列王記等に登場する王たちの姿は私たちが王となるために必要な教師であり、また反面教師であることを知るでしょう。
3.王としての訓練
キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、メルキゼデクの例に倣い神によって大祭司と呼ばれました(へブル5:8-10)
王の王であるイエス様がこの地上において多くの苦しみをとおして「従順」を学ばれたように、私たちも王の王であるイエス様に仕える王として、様々な苦しみの中で「従順」を学ぶのです。
何よりも、私たちは「互いに愛し合いなさい」という命令に従順であるべきです。
(2020年5月10日の礼拝説教要約)
補記
メルキゼデクとは・・・