私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。(Ⅱコリント5:10)
聖書は「救い」について教えていますが、同時に「報い」についても教えています。
「救い」は「恵み」によるものですが、「報い」は「行い」によるものです。ですから、「恵み」によって救われていても「行い」をおろそかにしているならば、天における「報い」はわずかなものとなってしまうでしょう。
私たちは良い行いに生きるために、恵みによって救われたのです(エペソ2:10)。日々天に宝を蓄えましょう。