テキスト@Ⅱコリント5:9他 説教者:高森恒喜牧師
私たちは神に喜ばれることを願って生きているでしょうか?
1.神は私たちの信仰を喜ばれる
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません(へブル11:6)
神に喜ばれる者となるための第一歩は天地万物の創造主の存在を信じること。また、その創造主が求める者に良いものを与えてくださることを信じることです。簡潔に言うならば「神の全能と慈愛を信じること」です。アブラハムは神の全能と慈愛を信じた故に神の前に義とされました。十字架と復活の出来事には神の全能と慈愛が集約されています。
2.神は私たちの従順を喜ばれる
主は全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか(Ⅰサムエル15:22)
「私は神を信じます。しかし、神には従いたくありません。」という姿勢は信仰ではありません。信仰には神に対する服従が伴います。神に対する信仰を持つとは、神を主人として認め、自らをそのしもべとすることだからです。主人の願いに応えようとするしもべを喜ばれます。
3.神は私たちの善行を喜ばれる
善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。(へブル13:16)
イエス様は「神が喜ばれることをいつも行う」ゆえに「神がともにおられる」と確信していました(ヨハネ8:29)私たちは良い行いによって救われるわけではありませんが、良い行いに生きることは、私たちの信仰を確固たるものとすることも忘れてはいけません。
(2020年7月5日の礼拝説教要約)