Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

恵みを放縦としないために

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テキスト@ユダ1-4他 説教者:高森恒喜牧師

なぜある人々は恵みを放縦に変えてしまったのでしょう?

1.みことばの曲解

無知な心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所と同様、それらを曲解して、自分自身に滅びを招きます(Ⅱペテロ3:16)

恵みが放縦となってしまった原因はみことばの曲解にありました。「罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました」とパウロの言葉を、罪を犯せば犯すほど神の恵みは満ちあふれると捉えたのです。ではなぜ彼らはそんなふうに解釈してしまったのでしょう。

2.曲がった価値観

この曲がった時代から救われなさい(使徒2:40)

私たちがこの世の価値観、すなわち曲がった時代の考え方のまま聖書の教えを理解しようとする時、曲解が生じます。たとえば、聖書が「何でも欲しいものを求めなさい」と言う時、曲がった考え方の人は、金だの地位だの快楽だのと、この世のものを求めます。しかし、神の国に属する人は神の国と神の義を求めるのです。

3.自己中心な生き方

そのような者たちは・・・自分の欲望に仕えている(ローマ16:18)

曲がった時代の間違った価値観は、人間が自分の欲望に従って生きるところから生じたものです。ですから、私たちが聖書の教えを正しく解釈するためには、何よりも神のしもべとして、神のみこころを行うことを求める姿勢が重要です。そのような信仰の姿勢なしに、私たちはみことばに正しく応答することはできません。

(2020年9月20日の礼拝説教要約)