テキスト@ヤコブ2:24他 高森恒喜牧師
救われるには信仰だけでなく行いが必要とされるのはなぜ?
1.主とするとは?
イエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる(ローマ10:9)
「主と告白する」とは「あなたは私の主人です」と宣言することです。それは同時に「私はあなたのしもべです」と宣言していることになります。しもべのすべきことは主人の命令に従い主人を満足させることです。主人の命令に従わない者はしもべとは言えません。
2.告白するとは?
私は自分の罪をあなたに知らせ、自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私のそむきを主に告白しよう」(詩篇32:5)
「告白」はその内容が「真実」であることを前提としています。たとえば愛の告白にしろ、罪の告白にしろ、内に秘めたる真実を言い表すわけです。信仰を公に表明するという意味での告白もまた同様だと言えるでしょう。口先だけの信仰告白は、実際のところ告白ではないのです。
3.行いによって救われるとは?
人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことが分かるでしょう(ヤコブ2:24)
信仰には必ず行いが伴います。なぜなら、信仰とはイエス様を主人として生きることであり、主人であるイエス様の命令に従おうとすればそれは自ずと具体的な行為として現れるからです。ではイエス様の命令とはどのようなものでしょうか?それは「互いに愛し合いなさい」です。
(2021年2月7日の礼拝説教要約)