テキスト@ヨハネ3:16他 高森恒喜牧師
「いのち」を「結合」として捉える時に見えてくるもの
1.命とは「結合」
神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった(創世記2:7)
聖書における「死」は「分離」であり、命は「結合」です。人間の「死」は肉体と霊魂の「分離」です。「命」は肉体と霊魂の「結合」です。人間は神と「分離」した時、神の目に「死んだ者」となり、神と「結合」する時、神の目に「生きた者」となります。
2.告白による「結合」
イエスを神の御子であると告白するなら、神はその人のうちにとどまり、その人も神のうちにとどまっています(Ⅰヨハネ4:15)
聖書が教える「永遠のいのち」は「神との永遠の結合」であり、それは神の御子イエス様と「結合」することによって実現します。では、どのようにして私たちはイエス様と結合するのでしょうか?それはイエス様を主と告白することによってです。
3.愛による「結合」
愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます(Ⅰヨハネ4:16)
私たちはイエスをキリストと告白した時に霊的に神と結合します。その後大切なことは、結合を保つ続けるため、また、さらに強く結合するために、キリストの愛に生きることです。愛に生きることによって、私たちのうちには神の平安とまた確信とが増し加わっていきます。
(2021年3月21日の礼拝説教要約)