テキスト@申命記30章6節他 高森恒喜牧師
「割礼」の象徴的意味について考えてみましょう
1.儀式としての「割礼」
あなたがたの男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に割礼を受けなければならない(創世記17:12)
神は「祝福の契約」の印としてイスラエルのすべての男子に「割礼」を受けるよう命じられました。「割礼」とは生まれて八日目になった男子に施す儀式で、具体的には性器を包む皮の先を切り取るものです。そこには象徴的な意味合とともに、衛生的な意味合いもあったようです。
2.象徴としての「割礼」
あなたがたは心の包皮に割礼を施しなさい(申命記10:16)
「割礼」とは「肉を切り離す」儀式です。それは、私たちが自らの心から「肉欲」を切り離すことの象徴であり、「もはや人間の欲望のためにではなく、神のみこころに生きる」(Ⅰペテロ4:2)決意の表明と捉えることもできるでしょう。私たちが自分の思い(欲望)を中心として生きている限り、神のことばに従うことはできません。
3.創造としての「割礼」
御霊による心の割礼こそ割礼だからです(ローマ2:29)
儀式としての割礼はイスラエル民族の「肉体」に契約の民としての「印」を刻むものでした。しかし、神が私たちに施される「心の割礼」(申命記30:6)は私たちの「霊魂」に契約の民としての「印」を刻み込むのです。それこそが証印としての「聖霊」であり(エペソ1:13)、私たちに新しい創造をもたらすものなのです(ガラテヤ6:15)。
(2021年6月13日の礼拝説教要約)