Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

聖書的か否かを判断する指針

f:id:tkoki777:20210718153240p:plain

テキスト@Ⅱコリント4:18他 高森恒喜牧師
聖書的であるかどうかを見分けるための基本的考え方

1.現象ではなく本質を見る

私たちは目に見えるものではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続く(Ⅱコリント4:18)

聖書的か否かを問う時、私たちは本質ではなく、現象にその答えを求めがちです。洗礼式の様式についての議論はその典型的な例のひとつと言えます。浸礼、灌水礼、滴礼のいずれが聖書的か?という議論はむなしいものです。なぜなら、それらは本質的な問題ではないからです。

2.現象は手段に過ぎない

割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です(ガラテヤ6:15)

子供に、より聖書的洗礼をとイスラエルに行き、ヨルダン川で洗礼(浸礼)を受けさせた人を知っています。その子供は今信仰を持っていません。「洗礼式」は「神と人との前に信仰を表明する儀式」であり、目的ではなく手段です。大事なのは目的が達成されることです。

3.目的は本質にある

わたしたちが一つであるように、彼らもひとつに(ヨハネ17:22)

私たちが聖書的か否かを「現象(外側)」に求めてしまうと、それぞれ、自分達の考え方やり方が正しいと主張しはじめるので、そこに一致が生まれることは決してありません。ですから「神の愛による一致」が本質であると信じるならば「現象」に聖書的か否かの答えを見いだそうとすること自体が聖書的ではないことを認めなければなりません。

(2021年7月11日の礼拝説教要約)