私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。(ガラテヤ2:19-20)
「もはや私が生きているのではない」という真理を悟り、その真理に堅く根ざして生きることができるならば、私たちはどんなに素晴らしい神にある自由を楽しむことができるでしょうか?また、そのような境地に到達することこそが、キリストにある成人として立つことではないでしょうか。もちろん、そのような境地に達することが救いの条件ではありませんが、もし、私たちがもっと神の豊かな祝福を享受したいと願うならば、そこを目指さなければなりません。