人生に起こる全ての出来事は神の御手の中にあります。そのことを正しく知ることは私たちの信仰の歩みをより確かなものとするでしょう。
1.摂理(せつり)と信仰
あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない(エステル4:14)
「摂理」というキリスト教の教理を一言で分かりやすく言い換えれば「神の備え」。ですから摂理を信じるとは、創造主が選びの民を救うために全ての出来事を支配し備えておられると信じることです。あなたの性別や外見や境遇などを含めた人生の全ての出来事を神は救いのための備えとされるのです。摂理を知ることは大きな励ましとなるでしょう。
2.摂理と意志
しかし、王妃ワシュティは宦官から伝えられた王の命令を拒み、来ようとはしなかった(エステル1:12)
神の「摂理」と人間の「自由意志」は相反するものではありません。エステルが王妃となるきっかけは王妃ワシュティの行動にありましたが彼女は「神の意志」ではなく「自らの意志」によって行動しただけであって、まさか自分の行動が神のユダヤ人救済計画に関わっているとは知りませんでした。
3.摂理と使命
私は王のところへ参ります。私は死ななければならないのでしたら、死にます(エステル4:16)
モルデカイもエステルも、アブラハムやモーセのように神の啓示を受けたわけではありません。しかし、彼らは神の摂理を信じ、その置かれた状況の中で最善を尽くしたのでした。私たちもまた直接的な啓示を受けなかったとしても、神を信じ、今置かれた場所で最善を尽くすことが、神の使命を果たすことにつながるのではないでしょうか。
(2022年3月13日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)