わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです(ヨハネ11:25)
1.復活は「核心」である
キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります(Ⅰコリ15:14)
キリスト教における「復活」の教えは最も重要です。これがなければキリスト教は生命を失ってしまいます。「互いに愛し合いなさい」という教えが私たちが行うべき最も重要な教えであるように、私たちが信ずべき最も重要な教えは「ナザレのイエスは復活した」という教えです。「復活」がなければ私たちがクリスチャンである意味はありません。
2.復活は「歴史」である
キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました…ヤコブに現れそれからすべての使徒たちに現れました(Ⅰコリント15:6-7)
イエス・キリストの復活は歴史的な事実です。ある人たちはキリストの復活は実際に死から復活したのではなく、信徒たちの熱烈な信仰によて、彼らの心の中にありありと甦ったという意味であると教えます。しかし、それは本物の信仰ではありません。それは神の全能であることを信じることができない人々の詭弁に過ぎません。
3.復活は「希望」である
しかし、今やキリストは眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました(Ⅰコリント15:20)
キリストの復活は死んだ時と同じ肉体に魂が戻るのとは違います。キリストの復活は、新しい体、すなわち栄光の体へと変えられる復活でした。このことは、私たちクリスチャンにとっての希望です。なぜなら、キリストの復活は、私たちがやがて経験するであろう復活の予表でもあるからです。私たちの復活の時は、私たちの救いが完成する時です。
(2022年4月17日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)