私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです(Ⅰコリント15:3)
1.キリストは罪のために死なれた
「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです(Ⅰテモ1:15)
イエス様は何から私たちを救うために来られたのでしょう?それは「罪」からです。「罪」とは神の定められたルールを破ることですが(Ⅰヨハ3:4)同時にそれは人間と神との関係が崩壊している状態を表す言葉でもあります。イエス様はそのような神と人間の関係を修復するために人として地上に来てくださったのです。
2.キリストは葬られた
見よ、世の罪を取り除く神の子羊(ヨハネ1:29)
人類の救いのために、全焼のいけにえとして、罪のためのいけにえとして、また和解のいけにえとして、神が自らを捧げられた出来事。それがキリストの十字架です。その尊い犠牲によって、私たちと神との間を隔てている「罪」は取り除かれ、イエスをキリストと信じることによる永遠の命(神との結合)への道が開かれました。私たちはこのキリストとともに生きるために、キリストとともに死ななければなりません。
3.キリストは三日目によみがえられた
聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリスト(ローマ1:4)
約二千年前の約一万キロメートル彼方の見も知らない三〇代男性の死が、私のためだった、ということも信じがたいことですが、その男性が三日目に復活したということはさらに信じがたいことです。しかし、この出来事こそ、イエス様が救い主であることの証明であり、それを信じることができることこそ、救いに選ばれている証明でもあるのです。
(2022年6月26日の礼拝説教要約 説教者:高森真理子牧師)