Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

神を求めて生きる

神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました(使17:26)

1.神を求めるために

それは神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう(使徒17:27)

私たちは自分で好んで今の場所に今の時代に生きているわけではありません。気づけば存在していました。私たちは「生きている」というよりも「生かされている」のです。では、何のために生かされているのでしょう?その答えが「神を求めさせるため」です。ですから、私たちが神を求め始める時、真の意味で私たちの人生が始まるのです。

2.神を知ることを

私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう(ホセア6:3)

神を求めるとは「神を知ることを求める」ことでもあります。この場合の「知る」は神を単に知識として知ることではありません。神を体験的に「知る」ことです。私たちは神のことを知識としては知っていても体験的に知らないなら、そこに信頼関係が生まれることはありません。神は、私たちと人格的、そして個人的な関係を結ばれたいと願っておられることを覚えましょう。

3.神に出会う

そこから、あなたがたがあなたの神、主を探し求め、心を尽くし、いのちを尽くして求めるとき、あなたは主にお会いする(申命記4:29)

私たちは神を体験的に知ることを追求するために生かされています。私たちがそのことを信じ、一生懸命にそれを求めるなら、神は私たちと出会ってくださる。それが神の約束です。神との出会い方は人それぞれでしょう。しかし、神は必ずあなたに分かる方法で、あなたに出会ってくださいます。そのことを信じ、神を求め続けましょう。

(2022年7月3日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)