彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。
(Ⅱテサロニケ2章10節)
「真理とは何なのか?」総督ピラトがどのような思いでそう言ったのかは分かりません。ただ、彼が「真理」を第一にしなかったのは確かです。多くの人にとって「真理」はどうでもよいことのようです。特に日本人は「和」が保てるのであれば「真理」は二の次、三の次とする傾向があります。しかし、神が重要視されるのは「真理」です。もし、総督ピラトが真理を求める人であったなら、目の前に立つイエスこそ、真理そのものであったことに気づいたかもしれません。