Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

ともに苦しまれる神

この地上で生きている限り、私たちは「苦しみ」を避けることはできません。私たちは聖書的な視点に立ち「苦しみ」と向き合うことが大切です。

1.人が苦しむのを望まない神

主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない(哀歌3:33)

新共同訳では「人の子らを苦しめ悩ますことがあっても、それが御心なのではない」と訳されています。神は私たちが苦しむことを望まれる方でも、また喜ばれる方でもありません。地上に満ちる苦しみは、神がもたらした、というよりも人類が自ら招いたという側面もあるのです。神はそのような私たちを救い出し、死も、悲しみも、叫びも苦しみもない世界(黙示録21)へと導く計画をもっておられるのです。

2.人とともに苦しまれる神

彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、主の臨在の御使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって、主は彼らを贖い...(イザヤ63:9)

私たちはときに、誰も自分のことを理解してくれないと思うことがあるかもしれません。しかし、それは真実ではありません。私たちのことを誰よりも理解してくださる方がおられます。その方こそ、私たちの主イエス様です。イエス様があなたの苦しみ、悲しみ、痛みをご存じでありともに苦しみ、悲しんでくださっていることを覚えましょう。

3.人の苦しみを用いられる神

それは、あなたを苦しめ、あなたを試し、ついにはあなたを幸せにするためだったのである(申命記8:16)

私たちは地上に生きている限り、さまざまなかたちで苦しみを経験しなければなりませんが、私たちがその苦しみの中で、主とともに歩む時それらすべてが私たちの将来の希望へと、平安へと、幸福へとつながるのです。地上での苦しみをとおして、私たちが練り清められることは、私たちが地上での使命を果たすための訓練でもあります。

(2022年11月13日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)