Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

すべての人の贖いの代価として

キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました。これは、定められた時になされた証しです(Ⅰテモテ2章6節)

「贖い」という言葉には様々な意味が内包されます。そこには「買い戻す」という意味もあり、たとえば、奴隷に売られた兄弟を代価を支払って解放することも「贖い」と呼ばれます。その場合、代価を払った人が「贖い主」となります。贖い主イエス様は罪の奴隷として、様々な欲望に束縛されていた私たちを解放するために、ご自身の命をその代価とされました。私たちはその事実に自分自身の価値を見出さなければなりません。あなたは神の目に何よりも尊い存在なのです。