クリスマスはイエス様の誕生を記念する日です。それは天地万物の神が私たちと同じ肉体をまとって地上に下りて来られたことを覚える日でもあります。
1.神の犠牲
キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず(ピリピ 2: 6)
神が人を救うために人となってくださったこと。私たちクリスチャンはそのことを単純に喜びます。それは素晴らしいことです。しかし、神が神の在り方を捨てる、ということがどれほど大きな犠牲であったかということも覚えなければなりません。クリスマスの出来事には父なる神の深い悲しみ、子なる神の苦しみ、聖霊なる神の憂いがあったのです。
2.神の謙遜
ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして(ピリピ2:7-8)
神が人となられたということ、それは天の最も高きところにおられるお方が、地の最も低きところに下られたということです。これ以上のへりくだりはありません。だからこそ、イエス様が「わたしは...へりくだっている」(マタイ11:29)と言われる時、それはアーメンなのです。また、その謙遜はしもべとしてのそれであることも銘記しましょう。
3.神の従順
死にまで、それも十字架の死にまで従われました(ピリピ2:8)
「キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び」(ヘブ5:8)「その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された」(Ⅰペテ2:21)と聖書は私たちに教えます。私たちは子なる神の従順に学ぶようにと召された者です。イエス様は「わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます」(マタ11:19)と言われました。神に従順であることこそ平安な人生を送る秘訣です。
(2022年12月25日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)