何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙 4章 6〜7節)
1.自問自答して祈る
わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。私のうちで思い乱れているのか。(詩篇42章5節)
思い煩いに囚われてしまった時には「なぜ、そんなに落ち込んでいるのか?」「なぜ、そんなに怒っているのか?」と自問しつつ祈ることもそれから解放されるために効果的です。祈りの中、その理由が明確にされる中で、冷静さを取り戻し、解決の糸口を見出すこともあります。また、自分の問題点に気づかされ、悔い改めに導かれることもあります。
2.自分を鼓舞して祈る
神を待ち望め、私はなおも神をほめたたえる(詩篇42篇5節)
「あなたに代わって、私の心は言います『わたしの顔を慕い求めよ』と」(詩27:8)とあるように、私たちは聖書のことばに基づき「神に代わって」自分に語りかけ、自分を鼓舞することも大切です。ダビデは神に代わって自分に「神を慕い求めよ」と言い、それに対して「御顔を慕い求めます」と応答しました。詩篇の42篇5節では「神を待ち望め」に対して「神をほめたたえます」と応答しているとも捉えられます。
3.平安が与えられるまで祈る
そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます(ピリピ4:7)
私たちは祈ることによって、自分が今抱えている問題に解決が与えられることを第一に求めるかもしれません。しかし、私たちに本当に必要なのは平安ではないでしょうか?どんなに大きな問題が目の前にあったとしても、平安があれば、その問題は問題ではなくなるのではないでしょうか?祈りましょう。神の平安が与えられるまで祈りましょう。
(2023年2月5日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)