Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

キリストに似た者と

私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです (Ⅰヨハネ3:2 )

1.キリストの似姿としての栄光のからだ

キリストは...私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます(ピリピ3:21)

「キリストに似た者となる」という時、それは私たちの内側がキリストの性質を帯びることを意味することもありますが、ヨハネの手紙第一3章2節の場合の「キリストに似た者になる」とは「栄光のからだに変えられる」ことを意味します。このことはイエス・キリストの再臨の際、一瞬のうちに起きる出来事であり、私たちが待望すべきことです。

2.御国を受け継ぐための栄光のからだ

血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません(Ⅰコリント15:50)

神様が私たちに「栄光のからだ」を与えられる理由の一つで、聖書に明記されるのは、朽ちることのない「神の国(新天新地)」を相続するために朽ちないからだを持つことが必要だから、です。私たちを「子」とすることがそうであるように、「栄光のからだ」もまた、神の救済計画の最終目的である新天新地相続のためにあるのです。

3.救いの完成としての栄光のからだ

この死ぬべきものが死なないものを着るとき...みことばが実現します。「死は勝利に吞み込まれた。」(Ⅰコリント15:54)

神が「栄光のからだ」を与えられる別の理由は人間の「全人格的救い」「全人格的回復」のためです。人間が罪に陥った時「死の法則」に入れられたのは霊と魂と体です。ですから、霊と魂だけの救いだけでは十分ではないのです。体も本来の在り方に回復されて、つまり「栄光のからだ」に変えられて、クリスチャン個々人の救いは完成するのです。

(2023年4月2日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)