Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

断食の精神

聖書箇所:ヨエル書1章14節他

断食を象徴的行為として捉えるときに見出される信仰の精神に目を向けましょう

1.きよめ

断食を布告し、きよめの集会を召集せよ。ヨエル書 1章 14節

「断食」は「聖め」を表す象徴的行為として捉えることができます。「食欲」は人間の最も根源的欲求です。それを断つことにより、私たちは自らが神の民として、肉欲から切り離された者であること、自分の欲望のためにではなく、神のみこころに生きる者であることを確認するのです。また、断食の中での神との密な交わりをとおして、私たちは実際に神の聖めの力に預かることを期待することができるのです。

2.悔い改め

断食と涙と嘆きをもって、わたしのもとに帰れ。ヨエル書 2章 12節

断食は「深い悲しみ」を表現する行為でもあります。それが神に捧げられる時、それは悔い改めを象徴する行為となるのです。「神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせるのです」(Ⅱコリ7:10)。私たちはこれまでの人生の中で多くの罪に生きることによって、日々神様を悲しませてきましたが、救われた私たちは義に生きることによって、日々神様を喜ばせる者となるのです。

3.良い行い

わたしの好む断食とは...飢えた者にあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見てこれに着せ...イザヤ58:6〜7

神様が好まれる断食とは良い行いに生きることであると聖書は教えます。イエス様は言われました。「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い...」(ヨハ4: 32〜34)断食とは肉の糧を断ち、霊の糧を食すること、つまり、神のみこころを行なうことであり、それは、神の愛に生きることなのです。

(2023年5月14日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)