聖書箇所:マタイの福音書2章1節~2節
私たちはイエス様を王として心に迎えているでしょうか?
1.王として来られたイエス
ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは...礼拝するために来ました。マタ2:2
マタイの福音書はイエス様が王として地上に来られたことを特に強調していますが、東方の博士が幼児であったイエス様を探しにイスラエルに来た場面ではただの王ではなく、礼拝されるべき存在、すなわち神ご自身であることをも示しています。果たして、私たちは本当の意味で、イエス様を王として人生に迎えているでしょうか?
2.神の国の王として
闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ...使徒26:18
イエス様がご在世当時、ユダヤ人たちは、イエス様こそ自分たちの救世主だと期待しました。しかし、それは自分たちをローマ帝国の支配から解放してくれる政治的な救世主としての期待でした。彼らはイエス様を王にしようとしますが、イエス様はそれを拒まれました。イエス様はイスラエルをローマの支配から救う地上の王ではなく、全人類をサタンの支配から解放し、神の支配へと導く、神の国の王だったのです。
3.王を迎える用意
よくやった。良いしもべだ。おまえはほんの小さなことにも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。ルカ19:17
王なるイエス様は再びこの地上に来られます。私たちはその日に備えなければなりません。では、私たちはどのようにして、その日に備えるべきでしょうか?それは神様から与えられている賜物を生かして、与えられた使命を果たすことです。終わりの日、主の前に立つ時、「よくやった。良いしもべだ」と声をかけられる日を待ち望みましょう。
(2024年5月12日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)