キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。(ペテロの手紙第一 2章 24節)
イエス様の十字架での死は、私たちが罪を離れ、義に生きるため、すなわち、「目を覚まして、正しい生活を送り、罪を犯さないように」(Ⅰコリ15:34)なるための犠牲でした。ですから、クリスチャンになっていても、霊的に眠りこけてしまい、道を踏み外しているなら、それはイエス様の尊い犠牲を無駄にしていることになります。また、キリストによる癒しと、私たちが義に生きることは無関係ではないことも心に留めつつ(イザ58:8)神の国と神の義を求めていきましょう。