聖書箇所:マルコの福音書3章1節-6節
イエス様の「怒り」について考え、学んでいきましょう
1.怒れるイエス
イエスは怒って彼らを見回し、その心の頑なさを嘆き悲しみながら、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。マルコ3:5
イエス様は柔和な方でしたが、だからといって、怒ることがなかったかというと、決してそうではありませんでした。福音書には怒って、イエス様が神殿で大暴れされたことも記されています。喜怒哀楽の感情を与えられたのは神様です。「怒り」そのものが悪というわけではありません。大事なのはその怒りがどこから来ているかです。
2.人の怒りと神の怒り
人の怒りは神の義を実現しないのです。ヤコブ1: 20
「人の怒り」は神の義を実現しません。しかし、「神の怒り」は神の義を実現します。「神のみこころに添った悲しみ」(Ⅱコリ7:10)があるように、「神のみこころに添った怒り」があり、それらは私たちを救いへ導きます。同時に「神のみこころに添わない悲しみ」すなわち「世の悲しみ」があり、「世の怒り」があり、それらは私たちを滅びに導くのです。自らの「怒り」がどこから来ているのか、吟味しましょう。
3.イエスの怒り
人々が子どもたちを連れて来た。ところが弟子たちは彼らを叱った。イエスはそれを見て、憤って...マルコ10:13〜14
イエス様は、物事が自分の思う通りに行かないことで怒られたわけではありませんでした。父なる神の名が汚されたとき、父なる神が悲しまれることや、そのご計画が妨げられることが起こったときに、怒りを覚えられたのです。それは、イエス様の心が父なる神と一つとなっていた証です。私たちもまたそのようなものでありたいと願うのです。
(2024年6月16日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)