聖書箇所:申命記8章11節~18節
私の人生は私のもの、という考え方はクリスチャンとして相応しいでしょうか?
1.主を忘れない
あなたの心が高ぶり...主を忘れることがないように。申命記 8:14
「主(神)を忘れる」ことは「高ぶり」であると聖書は教えます。なぜなら、神の存在を気にかけない生き方の根底には、神などいなくても、自分の人生、自分の力で生きていけるという考え方があるからです。そもそも、自分の人生が自分のものであるという考え方自体が間違っています。私たちはキリストの血の代価によって買い取られた者。私たちは神のものであり、私たちの人生も神のものなのです。
2.しあわせにするため
それは、あなたを苦しめ、あなたを試し、ついにはあなたを幸せにするためだったのである。申命記 8:16
神はいたずらに私たちを苦しめ、悩ませる方ではありません。神が与える苦悩には意味があり目的があるのです。それは私たちに真の幸せを与えることです。そのためにも、私たちは人生の様々な問題の中で、神は今、私に何を学ばせようとしておられるのか?問題の本質はどこにあるだろうかと、神に祈りつつ問うて行くことが大切です。
3.主を心に据える
あなたの神、主を心に据えなさい。申命記 8:18
「主を心に据える」とはどういうことでしょう?他訳では「主を覚えなさい」「いつも主を思い起こしなさい」「いつも自分に言い聞かせなさい」とありました。何を自分に言い聞かせるのでしょう?それは私の人生の中心はイエス・キリストであるということです。すなわち、今までの自分中心の歩みを止めて、イエス様を中心とした歩みを始めることです。そして、その先にこそ、真の幸福があるのです。
(2024年6月30日の礼拝説教要約 説教者:高森真理子牧師)