聖書箇所:マルコの福音書3章28節-29節
なぜ、聖霊を冒涜する者は赦されないとイエス様は言われたのでしょう?教会時代における聖霊の働きに着目し、その見解の一つについて、考察してみましょう。
1.聖霊を冒涜する者とは?
しかし、聖霊を冒瀆する者は、だれも永遠に赦されず、永遠の罪に定められます。マルコ3:29
父なる神を冒涜することも、子なる神を冒涜することも赦される。しかし、聖霊なる神を冒涜することは赦されない。イエス様はそう言われました。マタイの福音書の並行記事では「聖霊に逆らうことを言う者」となっています。つまり、聖霊の働きを妨げようとする者は救いに預かることはできないと解することができます。
2.救いにおける聖霊の重要性
聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。Ⅰコリント12:3
私たちを新しく生まれさせるのも聖霊であり(新生)、私たちを日々聖めてくださるのも聖霊であり(聖化)、栄光の体に変えてくださるのも聖霊です(栄化)。つまり、聖霊様は私たちの「救い」の全ての過程において最も重要な役割を果たしておられるのです。ですから、聖霊に逆らい、拒むならば、私たちは救いに預かることはできません。
3.聖霊に満たされ続けること
悪い者であっても...子どもたちには良いものを与える...なおのこと、天の父は...聖霊を与えてくださいます。ルカ11:13
「求めなさい。そうすれば与えられます。」と語られるイエス様が私たちに一番求めて欲しいと思っておられるのは「聖霊」であることを忘れてはなりません。にもかかわらず、私たちが地上のものばかりを求めているならば、神の前に実を結ぶことはできません。聖霊に満たされることを求めましょう。御霊の実を結ぶ者となりましょう。
(2024年7月21日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)