聖書箇所:マルコ4章21節‐25節
私たちは世の光であるにも関わらず、自らの光に升(覆い)を被せてしまっていることがあります。その覆いとは何か?それは「思い煩い」「自己中心」「恐れ」です。
1.思い煩い
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。Ⅰペテロ5:7
神に絶対的な信頼を置いている人が、思い煩うはずがない。だから、思い煩うことは不信仰である。これは正論ですが、そのような完全な信仰を持っている人は稀なのも事実です。大事なことは思い煩いに囚われそうになるごとに自らの不信仰を認め、悔い改め、主を見上げることです。その度に、覆いを取り除く霊的作業をすることこそが大切です。
2.自己中心(欲望)
それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。Ⅰペテロ4:2
神を中心として生きるのではなく、自己を中心として生きる。それは結局のところ「欲望を神とし」(ピリ3:19)て生きることです。その霊が欲望で覆われてしまっている時、私たちの内なる光は遮られ、世の光としての務めを果たすことができなくなってしまいます。そうならないためにも、私たちは欲望と決別する決心をしなければなりません。
3.恐れ
人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。箴言 29:25
私たちの内なる者が「恐れ」に囚われてしまうとき、私たちの内にある光は覆われてしまいます。この恐れを私たちの内から締め出すのは全き愛です。その全き愛とは、私たちの心に聖霊によって注がれる神の愛です。私たちが聖霊に満たされ、神の愛に満たされるとき、私たちの内から恐れを締め出すのです。聖霊に満たされることを求めましょう。
(2024年8月18日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)