聖書箇所:マルコの福音書4章33節‐34節
イエス様は不自然なくらいに「たとえ話し」を多用されました。なぜ、イエス様はそうれたのでしょう?また、そこから、私たちは何を学ぶことができるのでしょう。
1.預言の成就 その1
イエスは...たとえを使わずには何も話されなかった。それは、預言者を通して語られたことが、成就するためであった。「私は...たとえ話を...隠されていることを語ろう。」マタイ13:34〜35
救世主(キリスト)は「世界の基が据えられた時から隠されていることを語ること」を「たとえ話し」によって語ることが預言されていました。イエス様はそれを自ら成就させるために、あえて、その教えのほとんどを「たとえ話し」によって語られたのでした。
2.預言の成就 その2
わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らが見てはいるが見ず...こうしてイザヤの告げた預言が...実現した...『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟ることはない。見るには見るが...マタイ13:13-14
一般的に「たとえ話し」は話しを、より分かりやすくするために用いられます。しかし、イエス様の「たとえ話し」はその限りではありませんでした。多くの人たちはイエス様のたとえ話しを理解することができなかったのです。しかし、それもまた預言の成就だったのです。
3.悟る人たち
たとえを使わずに話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちには...すべてのことを解き明かされた。マルコ4:34
多くの人たちは、イエス様が救い主(キリスト)であることも、またイエス様が語られるたとえ話しの意味も悟ることができませんでした。しかし、神に選ばれた人たち、弟子として召された人たちはそうではなかったのです。彼らにはイエス様がキリストであることを悟る心を与え、そのたとえ話しの深淵な意味を示されたのでした。
(2024年9月15日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)