Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

人として、神として

聖書箇所:マルコの福音書4章35節~41節

イエス様は創造主なる神が、私たちと同じ肉体をまとって地上に来てくださった姿です。そして、だからこそ、私たちの罪を贖う唯一の救い主であることを知りましょう。

1.完全な人として

激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り...水でいっぱいになった。ところがイエスは...眠っておられた。マルコ4:37〜38

ガリラヤ湖に吹き荒れる突風に弟子たちが死の恐怖を覚える中、イエス様は熟睡しておられました。そのような状況で熟睡は普通ではありません。もし、それがイエス様が疲労困憊したがゆえであるなら、そこにはイエス様が私たちと同じ弱い肉体をまとわれていた事実、また、その身を粉にして人々のために働かれた姿を見出すことができます。

2.完全な神として

イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。マルコ4:39

万物の霊長を自負する人類であっても、大自然の脅威の前には無力です。私たちは大きな災害に直面するたびに、そのことを思い知らされます。しかし、大自然の脅威を目の前にしても、無力ではない存在。むしろ、その存在の前には自然の脅威さえも無力になってしまう。その存在こそ、神であり、イエス・キリストご自身なのです。

3.人として、神として

彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」マルコ4: 41

弟子たちはイエス様こそキリスト(救世主)であることを信じていましたが、イエス様は完全な人であると同時に、完全な神であるという理解には達してませんでした。しかし、人であると同時に神であるということは、人の罪を負って死ぬ方として、また、たったひとりの命で全人類を贖う代価として、どうしても必要な条件だったのです。

(2024年9月22日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)